KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

KUSHIZZIPROJECTオフィシャルブログ

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休養ではない。笑笑笑


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日本にいる。

 

 

東京ではない。

 

 

 

なぜなら、ビザ申請中なので、

色々手続きがあるのである。

 

 

地元で色々中。

 

 

 

しかし、休養ではない。

 

 

 

現在トレーニング真っ最中。

 

 

 

10月まではトレーニング鬼期間。

 

 

 

 

レーニングコーチから下されたメニューをこなす。

 

 

 

 

休養ではない。笑

 

 

 

 

11月下手したら毎週試合である。

 

 

 

確か去年もそうだった。

 

 

 

実践して、全日本に向かおう。

 

 

 

大学はいつ行ってもちゃんと体育館が使えるのでありがたい。

 

 

 

大学生はかわいい。

 

 

 

なんだか、かわいいなぁと思ってしまう。

 

 

年!?笑笑笑

 

 

 

 

そんな自主トレーニング期間。

 

 

 

明日からはまた東京。

 

 

 

東京は仕事とフェンシングをするところ。

 

 

 

地元は休養しながら、トレーニングするところ。

 

 

イタリアは修行するところ。

 

 

 

すっかり3拠点である。

 

資金があれば東京に別荘を借りるのだが。

ホームレスな私は渡り歩く。

 

地元ではケアもするので、

ポケモンセンター的な感じ。

 

 

東京は仕事をするので、

現場って感じ。

 

 

東京と地元の空気の流れは

東京がめっちゃ速い。

 

 

 

地元では明日の晩御飯を考えているときに、

東京では世界に向けてのアプローチや平和について考えていたりする。

 

 

最近思うのは、これが東京に人が集まる理由か。

 

 

問題意識の高い人たちが集まって

より良い世界に向けてどうすればいいか考えやすい場所。

 

 

私の場合、ずっとそこにいるのは息がつまるので、

普段は外にいて、仕事や試合のあるときだけ向かうというのが合っている気がする。

 

 

フェンシングにおいても、地方と東京はスピードが全然違う。

世界の流れを知るか知らないか。

 

世界のフェンシングはどんどん進み続ける。

 

 

それにリンクしているのが東京。

 

それに比べて地方では、それいつの時代の技?みたいなことが教えられていたり。

 

 

常に世界の流れを汲み取ることがコーチングには必要で。

 

 

ルールにしても、誰が強くてどの国が強いかとか。

 

 

これは去年から私が学んでいること。

 

 

審判の流れも試合ごとにどんどん変わる。

 

 

ワールドカップの効果は大きい。

 

 

 

思うにコーチングって、

自分にできることをそのまま教えられるわけじゃない。

 

それとはまた別の、

 

自分の基軸になっている理論や基本をまず教える。

 

 

まず基本を与えます。ってこと。

 

日本にはまだこの基本が浸透していない。

 

 

日本でも、世界でも勝つには基本が必要だ。

それを小さな頃から頑張っている子達が今の日本でも強い。

 

 

基本のあとは、

そこからは自分でアレンジするなり、私とアレンジするなり。

 

 

 

 

人を教えるときに、

私はこうするけど。っていう言葉は使わないようにしてる。

 

 

それは 私 のフェンシングであり、

 

基本 のフェンシングではない。

 

 

長い間学んできた基本。

 

本当うちのコーチの苦労は計り知れない。

 

 

ある程度完成されている成人した選手を1から作ってくれた。

 

 

 

脚の出し方、相手の切り方。

戦術、戦略。

 

 

私はそれを使って、今シーズンがんばる。

 

 

 

そして、その基本の基本を最近子供たちに伝えている。

 

 

 

100あるとしたら15までくらいだ。

 

 

難しいことだ。

 

 

それをどうやってできるようにするかは私の腕である。

 

 

 

 

どうして?

 

 

 

日本でコーチングを仕事にする。

 

 

 

仕事があれば、イタリアで生きていける。

選手ができる。

 

 

 

働く。

 

 

 

何より、自分にもいい影響があるから。

 

 

 

 

客観視は大きいのだ。