KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

KUSHIZZIPROJECTオフィシャルブログ

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分岐点と新たな挑戦へ。’’永遠に輝く星空の下。新しい旅に出ると決めました。’’

昨日、ご機嫌でブログを書いていた後、

 

 

トリエステに行ったのですが。

 

 

 

 

なぜかマッサージ後に、倒れました。

ママスとパパスが迎えに来てくれた。回収。

 

いやはや、申し訳ない。

 

 

 

私だいたい2年に一回ぐらい、こうやって激痛で倒れることがあるんです。

マッサージのせいも少しはあったのだと思います。

原因はわかりません。

 

 

生理前の何かしらの痛みで

 

 

すんげえ冷や汗が出て、お腹が激痛で、倒れます。

 

 

昔は救急車で運ばれたこともあります。

 

 

 

前回発生したのは、メキシコのカンクンに行っていた時の帰り道の

飛行機の中。

 

 

薬を飲めば、落ち着くんです。

30分から1時間くらいの我慢をすれば、元に戻る。

そしてしばらくしたら、普通に生理がはじまります。もう大丈夫。

イタリアで、ならないように十分注意してきたのに。

4年目にして、初めてなってしまった。

 

 

でも、本当に強烈な発作です。

 

本当に女の身体ってものを恨みます。マジで。こればっかりは。

なんでこんなキッツイものがあるのか。

ちょっと言葉が悪いかもしれません。

不快に思われる方がいらっしゃったら、すみません。

 

 

あくまでも自論です。個人的見解。

私の体の場合の話ですね。

 

一般論は、女の人は子供が産めるからいいではないですか。ですかね。

わかんないけど。

 

針ですよ、お腹になん百本も針が刺さって、

それと同時に強烈な吐き気に襲われます。何かしらの病気あるんじゃないかと思いますけど、

今のコロナウイルス騒動が少し落ち着いたら病院に行きます。

うん。

 

では、別に子供産みたいと思っていない女の人からしたら、

ただの月に一回の最悪な一週間です。

そんなこと言ったらバチが当たると言われそうですが、

あくまでも私の体に対する私の意見です。

そういう人もいるってだけです。

 

 

申し訳ないですが、世間一般の人生観から私はちょっと外れています。

いつも変わっていると言われます。いいんです。私は私ですから。

 

家族を作ってお母さんになって子供を育てる。

 

といったいわゆる普通の幸せを望んでいません。

そりゃ悩む時もあります。周りは子供がいっぱい生まれていて、

結婚する友達もいっぱいで。みんなのお祝いばかりしていますが、

私はそれでいいんです。そのお祝いをすることはとても嬉しい。

 

やりたいことがあるんです。

 

一人の子供を立派に育て上げるよりは、

私は世界中の子供が幸せに生きられるような、

そんなシステムを作る会社を経営したい。

沢山の子供たち、まとめて幸せにしたいんです。

 

もちろん一人では生きることができないのはわかります。

 

でも私は、例えば働く夫を支える主婦にはなれない。

 

その主婦のお母さんが誰より偉大なことも知っています。

自分自身母がいなければ今ここにいません。

もちろん大感謝してるし、その方達を否定するわけでもなんでもない。

 

自分の自分自身に対する考えです。 

 

自分としては、自分が世界に何か足跡を残して死にたいんです。

 

 

 

フェンシングにしても、

今日本を取り巻く問題にしても、

世界が直面している問題にしても。

 

 

まだまだ自分にできることはあると思うんです。

 

もっと色々なことを勉強して、もっとたくさんの方に笑顔を届けたい。

 

自分の家族も、周りの人も、

何不自由なく、自由で最高の人生を送れるようにしたい。

 

日々、考えています。

 

 

だから、私にとっては本当にただの毎月の恐るべき最悪の出血多量なんです。

風邪は引きやすくなるし、ふっらふらするし。

 

そんなこと言っちゃダメでしょとか言われそうだけど、

そんなの個人差があるものだから、人に判断される筋合いはない。

生理があることに感謝しなさい。って言われそうだけど、

 

私は痛い! それだけです。

私は生理が本当に苦手! それだけです。

 

色々コントロールする方法はあるのですが、リスクを考えてしていません。

イタリアでコントロールするリスク。もし何かあった時にどうにもならないから。

 

こんなこと書いて恥ずかしくないのかと言われそうですが、

別に隠すものでもありません。

 

人間です!!はい。

 

話が逸れました。

 

 

 

そこで、考えた。どうしてか?

だいたい生理痛がクッソ重い私は、前月の忙しさやストレスが翌月のお腹の痛みに反映されるのですが、

1月は確かにクッソ忙しかったので、そして体調不良を抱え込んで試合していたので、

そりゃ重いわってわけなんですが、

 

だいたいにおいて、

 

 

 

自分が分岐点にさらされているときにやってくるんですよね。

 

 

 

どっちの道を選ぶか、悩んでいるときに。

 

 

 

気づきました。

 

 

 

メキシコの時も、日本でフェンシングするかイタリアでそのまま続けるか悩んでいたんですよね。

 

本気でやるなら帰ってきなさい。という話になって。

 

 

でも、私は選ばなかった。イタリアを選んだ。

 

 

ちょうど分岐の時でした。

これも悩みまくって、最終的には親友の言葉で何かしらの決意が固まったんだと思います。感謝。

 

 

 

今の分岐点は、イタリア残留か移動かです。

 

私はイタリアのこの生活も大好きだし、イタリアも大好きなので、

イタリアで過ごしていたい気持ちも、もちろんあります。

でも、コーチはもう、いなくなります。

 

生活の拠点を変えることにすごく恐れを抱いていたんですよね。

せっかく慣れた生活を手放す恐れ。

せっかくイタリアという国を理解し始めたのに、

また違う環境で挑戦しようとしている自分もいて。

 

慣れた心地の良い場所を、失くしたくなかったんです。ずっと。

 

 

 

 

滞在許可証の関係で、イタリアにいれる期間は9月末までになりました。

 

 

 

当初は12月末だと思っていたので、想定外でした。

大学だけに今集中すれば、あと1年は滞在できますし、

本気でやればいくらでも滞在方法はあります。

 

 

家の契約がちょうどその頃に切れるので、

どうするのか?という話は既に出ていました。

 

 

でも私は、もう選びました。というか、神様にもうその方向に導かれているとしか思えない出来事がどんどん重なって、

 

 

 

9月末で、イタリア修行を終わります。

 

 

 

悲しいけどね。寂しいけど。

 

 

 

自分で道を選んでいるように見えて、

 

やっぱり何かに導かれているんじゃないかと思う時が本当によくあります。

 

 

 

 

コーチたちはアメリカへ。

 

選手のみんなはローマや別の場所へ。

 

 

 

私は、新たな挑戦をします。

きっとまたすごく最初はしんどいと思います。

でも、やってみたい。やってやるさ。

 

何を?

 

 

 

今、2択を持っています。

 

 

 

どっちを選んでもいいし、どっちも選ばなくてもいい。

 

 

 

ただ自分がやってみたいな。次はこれだなっていう道が幸運なことに

2つあります。

 

 

私が家族にいつも感謝するのは、

両親はこういった分岐点の時に、何も言わないんです。

 

母は、こういうのはいいんじゃない?という提案をしてくれます。

いろんな興味を持てるヒントもくれます。

これやってみたら? といつも何かしらのきっかけもくれます。

 

父は、何にも言いません。いつも静かです。

でも最近ミニオン化してきてしまったので(先日ブログに書きましたが)

ダイエットをして欲しいです。メタボが心配です。

 

 

これをしなさい とか この方にしなさい とか

絶対言わないんですよね。

 

なので、私はいつもそういったヒントを踏まえて、

 

自分でとことん考えて、

 

誰かに相談したりして、

 

 

道を選んできました。

 

 

 

 

まぁこうしなさいって言っても頑固な私は絶対やらないので、

それをわかっているんでしょうね周りは。

 

 

こうしたほうがいいかもよー あー別にやらんでもいいけどー

って言われるとこれまたあまのじゃくな私はやるんですよね。笑

 

 

まぁ流石にイタリア行きはかなりのビックサプライズでしたけど。笑

 

 

というわけで、次の4年はまだ舞台は決まっていませんが、

新たな挑戦をします。

どっちの舞台でも、できることです。これらは。

 

 

1、選手を続けます。私はまだまだ強くなれる。

 

2、世界的なコーチになる修行をします。目指すは五輪選手を育てること。

 

3、自分の会社を立ち上げます。(あ、既にエストニアでは起業しました。)

 

4、世界と日本をつなげるビジネスを展開します。プロデュースします。

 

5、日本で不動産運営をします。ちょっとやりたいことがありまして。

 

6、スタンフォード大学MBAを取るために資金を稼ぎ、勉強をします。

  私どうしてもスタンフォードに行きたいんですよね。35歳までに行きたい。

 

7、やさしい世界をつくるためのシステムを生み出します。

 

8、周りの人、大切な人、家族が安心して楽しくて自由な人生を送れるように、

  たくさん勉強して、経済的自由や最高の環境をプレゼントしたい。

 

9、常に世界中を飛び回る生活をしたい。帰る場所を守りながら。

 

10、今まで自分を支えて来て下さった方にとびきりの恩返しをする。

  それはきっと私が前に進み続けて、未来を切り拓くことなんだと思いますが。

 

 

 

そんなのできるかって?生理痛で苦しんでる人間がこんなことできんのかって?

お腹は痛いんですもん!しょうがないっす!

自分に宣言しないと、自分に言い聞かせないと、

やりたいことなんてできるはずがないんです。

言葉にするからわかるのであって、もやもやもごもごしているだけでは、

何がしたいのか自分自身わかりません。

 

だから私は自分自身に宣言する。これをやる!次の4年は!って。

私はチキンでだらしないので、自分に目標を言い続けないとすぐにだらけるんです。

ユーチューブばっか見ちゃうんです。ゲームばっかしちゃうんです。笑

要はコタツから出られなくなる!!!はい。笑

楽な方にすーぐ流れます。

 

これからの4年は今まで、たくさんの方にご支援いただいてきた分、

私、働きます。マジで。え?働くのって?ええ、働きます。

将来に向けた日本の様々な手続きや、いろんな制度も全部行います。

日本人でいたいので、ありとあらゆるもの全部納めます。

そして、日本の法律ちゃんと勉強します。制度もね。

今までは学生だったんで逃げてました。まぁ、まだ学生です。大学行ってます。

 

これからの4年で、その先の未来を

最高に生きていけるように

自分なりの働き方とシステムを

生み出しますってことです。

 

自分だけじゃなく、周りもね。

 

正直4年間、クラウドファンディングの多大なるご支援と家族の支援と、

自分自身の貯金と、何かしらの仕事で生きてこれました。

 

一応働いていましたが、月給でバリバリ働いていたとかではないのにもかかわらず

生きてこられたことに、自分でも本当に驚いています。

 

当初はすぐに資金が尽きてしまうものだと思っていたんです。

ただ幸運だったのは、素敵な大家さんに出会えたことと、

一人で家を借りなかったことと、物価の安い地域に住んだこと。

 

都会ではないので、物価が日本に比べてそんなに高くなかった。

人参が1キロ1ユーロでしたから。

 

そして、毎月のファンクラブをご支援いただいているおかげで、

一日4ユーロから5ユーロにバージョンアップさせていただけました。

 

本当に本当に感謝しかないんです。

 

 

沢山の方に支えて頂いたおかげで、私はここまでこれました。

 

何が何だかわからなくて心細い中始めた、イタリア修行。

 

結果、イタリア語が話せるようになり、英語も話せるようになり。

世界中に友達ができ、いつの間にか目標だった日本代表にならせて頂いていて、

世界と戦い続けることができ、様々なプロジェクトもさせていただき、

フェンシングの基礎を叩き込んでもらい。

大切な仲間も沢山でき、国際的な視点を学ぶことができました。

イタリアの大学生にもなっていて、気づけばエストニアに会社も作っていて。

世界中を旅し、いろいろなことを感じ、学び。

 

選手として一つ悔いが残るとすれば、私、全日本選手権でメダルが欲しいんです。

 

は?日本の話?って?そうです。日本の話です。

 

 

全日本選手権 で メダル が欲しいんです。

 

ワールドカップじゃないです。全日本なんです。

 

違う試合でメダルはもらったことはありますが、

全日本で欲しいんです。何そのこだわりって?わかりません。

なんか欲しいんですずっと。

 

だから、選手は続けます。

だいたい身体を動かさないとすぐにストレスが溜まる人間なので、

レーニングも一生続けます。

 

本当はだらしないので動きたくもないんですよ、走るのも嫌いだし。

 

でも13歳からフェンシングをして、いやそれより前からずっと外で走り回る生活をしていたので、

身体を動かさない毎日ってのができないんですよね。ウッズうずしちゃって、

ホテルに泊まっていたりしても、絶対ジムに行ってしまう。笑

 

職業病ですねこれは。一生続きます。

 

 

なんか、やりたいことばっかりやっている人生です。

 

自分のやりたいこと、幸せなことにさせて頂いています。

 

 

その足跡がいつか誰かの笑顔に変わる日が来たら、

 

なんと嬉しいことでしょうか。

 

 

日本のフェンシング選手は、もうこれからの時代どんどん外に出て行けばいいんです。

フェンシングは世界を繋げてくれます。ツールです。

私みたいに、出てみたかったら勝手に行ってみたらいい。

 

成人さえしていれば、私はいくらでも世界中に紹介します。

 

前、ブログに書きましたが、未成年はお断りしています。

 

 

ま、私はわざわざ外に出なくてもいい環境を日本に作るつもりですけどね。

ふふふ。

 

 

 

 

というような一連の流れを、ここ数日で決めました。

もともと決まっていたこともありましたが、いざこうやって文字にすると

なんかストンと自分の中に落ちますね。

 

 

自分の選ぶ道が明確ならば、

3月のラストランを私は何も思い悩まず、心置き無く突っ走ることができるので。

 

 

今、決して一人で走っているわけではないんですよね。

だからこうやって覚悟を決められるし、道を選べるってのもあります。

 

 

最終目的地のオリンピックまで、一緒に走っています。

そして、これからも共に走り続けるでしょう。はい。

 

日々悩みながら、練習をしながら、

世界と戦っています。

 

4月からは未定です。笑

 

9月以降はこの宣言に沿って。

 

 

 

なんか、昨日の一撃の生理痛でこんな文章が書けるのも不思議な気がしますが、

要は未来を決める分岐のストレスに私は弱いんだと思います。

 

身体が、どーしよおおおおおおってなる。

 

 

で、どかーん!!!いっってえええ。

 

 

 

あ、こうしよか。

 

 

って覚悟が決まったりするんですよね。

 

 

ま、物事には意味があるんだってことにしておきましょう。

 

 

今はこうやって書いていますが、また3年したり4年したら、

色々な景色がまた変わって、意見が変わっているのかもしれませんね。

 

 

変わることは、大切だと思うんです。

人間関係も変わっていくものです。

 

疎遠になったり、親密になったりする。

 

一緒にいたい人と共に過ごせる未来を作りたいと思います。うん。

 

 

北イタリアのニワトリに起こされる街で、

こんなことを考える夜。

 

3月に向けて、しっかりリハビリします。

 

フェンシングの剣は、一生離さない。

 

いつだって前を向いて。

 

 

やってやるさ、できる方法を考える。

 

 

 

そんな KUSHIZZI PROJECT です。

 

 

 

 

 

 

永遠に輝く星空の下。新しい旅に出ると決めました。

 


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