これまた久々に真面目な記事。
世界には様々な差別が存在する。
日本だってそうだ。様々な差別がある。
ただ、日本はどちらかというと、
欧米人に対しての憧れが強いのではないかと思う。
金髪、青い目。背が高くて、美しくてカッコよくて、のような。
一方で、
自らが英語が流暢ではないにも関わらず、
変な日本語を話す日本人ではない人には厳しかったり。
あるよね。
その人がどれだけ努力してこの非常に難解で繊細な日本語という言語を話せるようになったかも理解せずに。
イタリアに住む前の私は、少なくともそうだった。
日本にいる日本人ではない人達のことを、
少なからず無意識で差別していたと思う。
仕方がないことだろう。
人は、みんなと違うということを排除しようとする。
日本は特にそうだが。
なんでこんなことを書いているかというと、
同じアパートに、挨拶をしても絶対に無視をするおばあさんがいる。
私はこの人はイタリア人じゃないんじゃないかと思って、言葉が通じないのかなと最初思っていたのだが、
今日、違うアパートの住人と楽しげに会話していたのだ。
喋れるじゃん!笑笑
何度私が挨拶しても、そこに人などいないかのように無視をする。
それでも私は挨拶をすることをやめない。
たしかに、きっと何かバックグラウンドがあるのだろう。
アジア人、移民、日本人。
お前はそこに存在しない
と言ってくるかのような眼差しで、
いつもすれ違うのだ。
あからさまな、差別である。
くだらない事かと思われるかもしれないが、
やっぱり海外では、アジア人に対する差別はあるし、
アジア人だけでなく、様々な人種に対して差別はあるのだろう。
はっきり言って、何を言われようが今はすっかり言葉もわかるので、
来た時よりははるかに強い。
日本人だから。と、見下される事なんてしょっちゅうだった。
移民警察で、イタリア語でまくしたてられて、
反論できなくて、悔しかった。
変なイントネーション。笑笑 ってからかわれる時だってあった。
試合でいくら正しいことをしたって、審判は取ってくれなかったりした。(これに関してはコーチはいつもブチ切れだったが。)
幸運だったのは、クラブの仲間が本当に親切だったこと。
彼らも最初はきっと何かしらの線を引いてはいたと思う。
だけど、わからないことは練習中に絶対わかるまで説明してくれたし、
私を取り残すなんてこと、絶対しなかった。
いつも、いつも、助けてくれた。
そりゃあ、私は移民だから、
外国人だから、弱い。
だから、勉強するんだ。
英語だって、絶対に話せた方が強い。
差別をしない人がもちろん大半だし、
私のフェンシングの仲間たちは全くもって仲間である。
ただ、外に出ると、なきにしもあらず。
差別をなくそう!とは到底言えない。
なぜなら、自分自身、している部分があるから。
だけど、差別に負けない 力をつけることは必要で。
舐められないことが、1番必要で。
悲しいけど。大学に入った理由の1つだ。
あ、大学生なの?
で、周りの評価が全然違う。イタリアは。
どこの学校で学んでいるの?と聞かれた時に
語学学校を言うよりは、
大学行ってます。の方が、断然生きやすい。
ヨーロッパにきて、3年が過ぎる。
海外のマナーや国際感覚を身につけられたことというのは、
本当に大きな財産である。
日本は多分将来的にこういった力がないとどんどん衰退してしまうと思うんだ。
いつまでも、幸せな閉じた島国ではいられない。
世界に門を開くことが、これからは大切なんだと思う。
日本には基本、日本人しかいない。
だから、日本は治安がとてもいい。
(差別的意味合いではない。)
きっちり教育された、時間を守るお利口な民族。
ストレスは多いが、電車が急になくなるなんてないし、道にタバコのカスがたくさん転がってもいないし、地震の時には助け合うし。
これって、ほぼ全国民に言葉が通じて理解ができるからできることで、
こっちの大陸社会って、
住んでるのに言葉が通じない人なんてザラだ。
ただ、イタリアは最近滞在許可に、語学のレベルを追加したらしい。
そりゃそうだ。言葉がなければ、法律も理解できないし、国は崩壊してしまう。
最近、都心では留学生の方がコンビニで働いているのをよく見かける。
よくもまぁ、あの複雑すぎるタバコの銘柄や宅急便やチケット購入システムや、おでんやチキンなど全てしなければならない仕事を日本語でできるなあと、私は本当に感服である。
(ちなみにコンビニでも働いていた。笑笑)
イタリアのタバッキで働けと言われたら、
私は多分パニックだ。
何だか思うに、
自分の知らない世界はまだまだ世界中にあって、
(ルワンダに行っている友達のツイートを見ると特に思う)
価値観もその分あって、
だから、
私はきっと明日も挨拶をし続けるだろう。
返事が欲しいわけじゃないし、
おばあさんの価値観を変えたいわけでもない。
ただ、自分の誇りのために。
私は日本人だけどイタリア語も英語も話せるフェンシングの代表選手で、苦労しまくって大学に入った大学生だぞって。
ここに住んで3年だぞって。
そんな私を無視できるとは、よっぽど辛い過去をお持ちなのですね、かわいそうですねって。
挨拶は些細なことのようだが、
とてもとても大切な人間同士のコミュニケーションだ。
あなたが私を人間と認めなくても、
私を認めてくれる人は沢山いるんだぞって。
悲しいけど、こういうことも留学にはつきものだ。
慣れっこだけど。
ワールドカップで例えば将来ベンチに入れるコーチになろうと思ったら、
国際的に、自国の選手を守れるような、
そんなコーチになりたい。
日本の師匠は本当に、私はそういった面でも尊敬していて、
アジア人が国際社会で戦う術を、
いつも勉強させていただいている。
話が逸れたが、そんなこともあるんだっていう私一個人の体験と意見である。
今日はコンピューターのテストを頑張ったので、
ティラミスを食べながらこんなシリアスなブログを書く。笑笑
ま、いいよね。
後、私が変えたいのは、留学ってキラキラしたものだっていう日本の価値観。
エージェントに頼んで、手配してもらって、
旅立つ。
。
全然簡単なことではない。
そりゃ、海外旅行みたいな至れり尽くせりルンルンパックみたいなのもあるけど、
イタリアの場合、エージェントの人がいくら助けてはくれても、現地では自力で頑張るしかない。
いうことが人によって変わる移民警察とイタリア語で戦わなければならない。
留学って、全然簡単じゃない。
少なくとも、私の場合は。
そもそものスタートから全部自力なので。
これも修行。
人の気持ちなんて、自分がまず経験しないとわかりっこない。
この経験は、必ず未来につながる。
次の試験は水曜日!頑張るしか!