KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

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マチネの終わりに

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昨日、本屋さんで買った。





マチネの終わりに。







初めは、何の気なしに読み始めた。


今日この作者の人の名前を調べて
思い出した。

私、前にも読んだことがある。

空白を満たしなさい。とゆう本。



ただの小説ではなく、

たくさんのことを考え させられる

考えている? 考えようという気になる?
考えはじめる?    本だ。


日本語で考えはじめる。

これ、イタリアに持って行こう。



見た目は恋愛小説。

しかし、中身はそれだけではない。


生き方、宗教観、運命論、未来、過去
戦争や地震。スランプや心の傷。

しかし、圧倒的なまでの人と人との関わり。
密接であり、
簡単に、、崩れるものでもある。



一回読んだだけじゃあまだもったいない。




なんなんだこの作者。




なんなんだこの本。



ちまたに溢れている小説は、
薄っぺらくて、現実とは程遠い夢話ばかりで

ちまたに溢れている自己啓発本は、
同じことの繰り返しで、何冊かの原書をうまく変えてあったりするものばかりで

最近、書店を見る目が二つに分かれた。

娯楽 と 思考するための本


前者は ちまたに溢れている

後者は ほとんどの場合書店にはない
             からいつも通販だ。



娯楽は楽でいい。
本を読んでもなにも考えなくていい。
ただ読む。そして幸せな気分になる。
自分がなんだかがんばれる気になる。
簡単に感動することができる。



しかし、思考を伴う本はそうはいかない。

苦しくなるときもある。
本のなかの言葉が自分に引っかかるときもある。
たった1フレーズが頭から離れなくなることもある。
しばらく思考がぐるぐる回ったりする。
自分なりの結論を探して、何か考えたりする。
それが、自分の答えの一部になったりする。


ところが、珍しいことに
この本は、私の後者に入る。

先日買った アルケミスト。 これも後者だ。
インナーゲーム。 もちろんこれも後者。
習得への情熱 とゆう本がある。これも。
夜と霧。 弓と禅。これも。
思考は現実化する。これも。
7。これも。
キャロル。これも。
トムピーターズシリーズ。これも。


仕事を初めてから本を買いだした。
往復の通勤を利用して、1日3冊読み出した。
部屋に本が溜まっていった。


当たり本は、ほんのわずかだ。



マチネの終わりに。     これもだ。




私は私の感覚があって、
この感覚を理解してくれる人をいつも求めている。


この、理解をしてくれる人はなかなかいない。

本を読んだり、実際に人と話したり
色んな体験をして自分はできているが、


なかなか 誰かと共有 というのは難しい。

自分が本を読んで得たものは自分の感覚であり、


自分が試合で得たものも自分の感覚である。



果たしてそれは理解できるものなんだろうか。





その理解は必要なんだろうか?



必ずしも必要ではないとしても、
わたしが人間である以上、
その理解を誰かと分かち合いたいというのは必然なんだろうな。

しかし、それを分かち合わずに
自分で考えた自分の考えを色んな場面で
使ってきたから今の自分があるというのもある。



誰にも否定されることのなかった部分。


本を読んで考えた自分の考え。


それをもし誰かと話し合っていたら
自分の考えが その誰かの考えと混ざっていただろう

そもそも自分の考えというものは
本によって導かれたものであるし
生まれた頃からの教育の根本的な結果というものでもある。


自分の考えだと思い込んで いるだけなのかもしれない。



それが混ざらなかったからこその今なのかもしれない。




マチネは終わってしまったけれど、








私のマチネはまだまだ終わらないのだと思う。