バラくし。
言葉はツール。
どの言葉をえらぶかは人間性。
空気を纏うのも人間性。
さて、ディザコ暴走問題だが、
使ってないから電気ガスは払わないわ!
なんて口約束が認められるはずもなく、
私もう出ていきたいわ!
なんてそんなすぐに家の契約解除ができるはずもなく、
全ては契約書にサインをしているから。
日本は印鑑社会。
外はサイン社会。
サインの大切さを思い知った。
そもそも日本でも契約解除は何カ月前に申告などというルールはあるわけで、
それは契約という社会の決まりなわけで、法律という国の決まりなわけだ。
それにいくら口で対抗しても、
無駄だ。
私は昔そんなケースにはよく遭遇した。
どうにかしてくださいよ!
無理です。
なんでですか?
規定なので無理なものは無理なのです。
決まりだから。それまで。
そして、ふと最終的な結論に至った。
ディザコ、どんなに君が言っても決まりだからそれはできない。
今月は払ってください。
涙目ディザコ。
逃げてった。
かわいそうに見えるが
大人の契約には泣き落としなんて通用しない。
そもそも、光熱費の契約名はディザコだ。
私が代わりに一括で払っている。
彼女が払わないというなら、
私が払わなければ滞納するのはディザコだ。
契約名を変えたいというなら、
私がサインしなければ変えられないのはディザコだ。
なんだ。ここ数日頭を悩まされたけど、
彼女には選択肢なんて元々ないじゃないか。
払わないというなら、私が代わりに払わなければいい。笑笑
もちろんそんなことはしないが。
あくまでも最終手段だ。
サイン社会はこわい。
サインというものは簡単にしてはいけないものなんだね。
学びました。日本人。
サインを気軽にしないこと。
身をもって知りましたとさ。
サインは身を守れるけど、
危機になるときもある。
サイン。大切。