KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

KUSHIZZIPROJECTオフィシャルブログ

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手に職がない私が、手に職をつける方法。

 

 


くしはしさん、隔離が終わってこれからどうするんですか?


実はね、もうスタート切ってます。


できないこと、制限のあることをどうにかして切り開く状況では
今はないから。


サーブルキャンプもキャンセルしましたが、
これは本当に良いことです。


結果、練習場所に恵まれている選手ばかりが試合に出られるということだから。


ちゃんと練習ができて、試合に行けるということです。これが私の最重要課題でした。

 


今までだったら、できないことをぐいぐい切り開くのがよかったんです。


今のこの状態、コロナというのは本当に何事も色々考えて無理はしてはいけない。


だから、私は日本にいることにしたのです。

 


日本にいても、自分の国際的な視点は絶対に失いたくないので、
常に外から日本を見ることができるように環境を整えています。

 


というか、すでに今来ている色々なオファーは全て海外からなので、
日常的に言語は変わらず使うし、時差も気にする。

 


この感覚がなくなってしまったら、私はまた海外に飛び立ちます。必ず。

 

 


今準備しているプロジェクトは、本当にクシッジプロジェクトという名前にできるほどの
すっごい大きなものが一つと、


それに付随する色々な仕事があります。


どれもこれも非常に世界とのコネクトが大事になってくるもので、
常に世界の動きを気にしています。


フェンシングを通して、きっとこうやって一生、国際的に生きていくんだろうなと
自分でも思います。


私は自分自身がもちろんまだ選手で、コーチで、
できる限りはピストに立ち続けていたいと思っています。


誰がコーチはピストに立ってはいけないと決めたのでしょうか?

 


よく言われます。くしはしさんまだ選手だよね?コーチじゃないよね?って。


どうしてその二刀流は容認されないのでしょうか?

 


アメリカには二刀流なんてゴッロゴロいます。

 


コーチとしての実力が伴っていれば、選手の練習相手にもなれるコーチは
一石二鳥ではないでしょうか?笑

 

 


レンタルくしはしというものを今は企画していますが、
私をレンタルしてくださるフェンシングの方は一石二鳥です。


レッスンもできて、試合形式の練習もできる。


でも私の荷物は倍の量になりますが、、、、、。涙

 

 

 


日本に帰ってきて思いました。


私には手に職はありません。
一般的に日本社会で認められているような職はないです。

 


体育教員の免許も、イタリア語の資格も、
あることはありますが、手にはないと思います。

 


でも、私にはフェンシングがあるんです。

 


日本ではまだこれは職とは言っていただけないのかもしれません。

 

 


しかし、他の競技のコーチはそれを職とされている方がたくさんいらっしゃいます。

 

 

 

 


私はフェンシングを私の職にしたい。


大好きなものを仕事にしたい。強くそう思います。

 


だから、自分でそれができる環境をつくります。笑


システムを作ります、それが日本中でコピーされたらいい。
なんならフランチャイズで出します。笑

 

 

これは私にしかできないんです。

 

なぜなら私の頭の中にあることだから。

 

誰かが代わりにやることはできない。

 

なぜなら私が歩んできた過程が

 

それをイメージさせているから。

 

私にしかできないから、やることにしたんです。

 

 

自意識過剰?いえ、違います。

 

ただ、自分がやりたいビジョンがあって

 

それができるのは誰かじゃなく自分しかいないから。

 

 


そしたら、クラブがたくさん増えて、競技人口が増えて
もっともっと盛り上がります。

 

 

 


なんで盛り上げたいのか?


盛り上がると、職になるし、選手は育つし、
未来の選択肢は増えるし、オリンピックのメダルが取れる。


メダルが取れたら認知度が高まり、
より多くの競技人口となる。

 


すると様々な価格は値下がり、もっと競技を始めやすくなり、
またまた競技人口が増える。

 


フェンシングはあくまでもツールです。

 


自己表現の手段であったり、将来の自分の道を切り開くための。

 

 


こういうシステムを作ってしまえば、あとは黙って見ているだけで
みんなの可能性が増えて、人と人とが出会いドラマが増えて、
みんながハッピーになるでしょう?

 

 

 


私は1フェンシング選手で終わるつもりはありません。


自分には個人戦で日本一になる力はなかったのかもしれないし、
世界ランキングを2桁にする力はなかったのかもしれない。


それらは結果に現れています。


でも、その過程というものは、決して無駄ではなかった。


振り返った時に、ああ、よかった。苦労したけど笑
という選択をいつだってしていたいです。ただ、安全な道を選ぶのは第一。
危険を冒しては、周りの人が心配するから。

 


それは今回のイタリア帰国で思い知りました。

 


皆さんたくさん心配させてごめんなさい。
無事に、全て終わりました。

 


今まで自分が歩んできた過程を活かし、
新たな挑戦をし、きっとたくさんの失敗をし、悩み、苦しみます。


すると何年か後にそれがまた過程となるから。
そして、いくつかの成功をするでしょう。多分。

 


次の目標は2024年です。4年スパン。

 

 

 


健康は第一です。


私は体が弱いので、たびたび多くの人を心配させてしまいます。


ですので、これに関しては十分注意します。

 


今は、まだ収入がありません。


だけど必ず、今している仕事はやがて花が開く。


その時には手についた職として胸を張れるように準備します。

 


そして、勉強をすることも。

 

 


レンタルくしはしは12月はちょっと忙しくなってしまいましたが、
1月はまだ募集中です。


お早めに捕まえてください。埋まります。笑


ブログはステージが変わっても、引き続き続けていきますので、
これは宝物。必ずすべらない本にするぞ!!!

 


ではまた!