こんな本を書店で見つけて買った。
私たちのメンタルヘルスについて。
今読みかけなんだけど、
これ子供向けに書かれた、自分の心の問題について学び、向き合う本。
イギリスのことまだよく知らないけど、
オープンだよね、こういう日本ではクローズなトピックに対して。
こんな本があったら、
日本の子供たちや、そう、数年前の私自身だったり
心の問題をうまく言葉にできないけれど、なんだか苦しい日々を送る子達を
少しでも助けられるんじゃないかなあと思った。
ホームステイ先のお父さんと話をしていて、
仕事をしていた時は、仕事にコントロールされていたけれど、
引退した今は自分で自分の人生のコントロールができているよ。
と、そんな言葉が出てきた。
早めにリタイアして、余生を楽しんでいるらしい。
いい。とっても。
ただ引退したいだけじゃなくて、そのあとのプランをきちんと考えてから
引退するのが大切だよ。とも言っていた。
同意。
同居人のスペインの姉さんからは、
昔はスペインは終身雇用だったし、
44年も同じ仕事をしている人もいた。
今は違うよね。
なんて。
そう、私も自分で自分をコントロールする人生を手放したくないんだ。
だから、仕事を生み出そうとしている。
もちろん会社でもそれはできるんだろう。
ただ、私は自分で自分の仕事を作りたいから、
苦労するのはわかりきっているけれど、あえて会社に入らず、違う道を選ぶ。
どの道が正解で不正解かなんて、その人次第だ。
私は自分のことしか言わない。他の人を否定しない。言っておくが。
日本の就業についての話は、私はよく海外で人と語り合うことが多い。
勤務時間や、残業。
実際に自分が経験した、日本社会への違和感。
もちろん日本は安全で平和で大先進国だから、
私は日本人であることを誇りに思っているし、日本が大好きである。
それでも、海外にいると、
日本に帰った時に違和感を感じることなんて、
本当に多い。多すぎる。
そうした社会で、人々は心の問題に遭遇することも多いわけだ。
もちろん私も遭遇したし、色んな傷を持っている。
そして、それらを公には語らないまでも、持ちながら生きてきたし、
はたから見れば、なんなのそれ?みたいな問題でも、
当人にとっては、とっても大きな問題だったりするのだ。
最近よく言われるのは、
メンタル強いですよね。と言われることが多い。
とんでもない。ありえないくらいチキンハートである。
とても神経質で、変なとこにこだわりがあって、
一度決めたらなかなか変えることのできない頑固者で。
これだと思ったものをひたすら追求し続けるが故に、
傷つくのも顧みず、進んでしまうのが私。
フェンシングという、心の動きがダイレクトに現れるスポーツをしているが故に、
自分の心とは嫌でも向き合わねばならず、コントロールするしかない。
そのため、人より心の問題については、興味も関心も知識もある方だろう。
仕事をしていたり、学校に行っていたり、家庭で過ごしていたり、
人は常に人と関わって生きている。
それが、生きる上での喜びであり、一方で、大きなストレスとなる。
その過程で、何か心の違和感に気づいてしまうことがあったり。
それが、なんなのかわからないけど、なんだか生きづらくて。
そういう時にこんなポップだけど、深い内容を扱った本があれば、
何かきっかけにはなるんじゃないかと考えるよ。
人に媚びたり、なんか強引に言葉を選ぼうとしたり、
そうよくある自己啓発本に、
毎日笑顔でポジティブな言葉を使いましょう!!!!( ´∀`)
なんて、できるかっての。 笑
自分自身の感情を、マイナスなところを強引にプラスに書き換えたところで、
感情の選択が減って、ただのポジティブロボットになるだけだ。
落ち込まない人間なんて、ロボットだ。
怒らない人間なんて、偽りだ。
そういう感情はあっていいんだ。あっていいからこそ、持ってるんだ。
そんな時は、森に行って、木のトンネルを走ったりさ、
何か水の近くに行って、ぼーっと川を眺めたりさ。
どうだろう。そんな暮らし。
都会はあまりにも、何かが抜け落ちていると感じるのだ。
だから、私は練習場所も、住むところも都会を選ばない。
思いっきり深呼吸のできない街は、自分の心の負担を増やすだけだろう。
空は広いということを忘れてはいけない。
生きづらくなったら、いつだって緑の中に戻れるんだから。
これ、ゴッホの絵なんだよね。
世界を回っていると、美術館に行った時にすぐ絵がわかる。
私、ルノワール好きなんだよね。
ゴッホの目には、世界はこう見えていた。
様々な苦悩と向き合いながら、生前は認められなかったゴッホ。
その彼の絵は、今世界中でありえないくらいの評価を受けた宝物である。
こういう景色の、いつでも見られるところに拠点を置いていたい。
こんな風にもちろん都会は美しい。
でも私はこんな風に道端に猫が転がってる街の方がいい。
こんな畑の広がる町がいい。
小さな時によく母がドライブ中に、退屈している私に向かって
緑を見なさい。 遠くの緑を見たら、目が良くなるから。
と。
おかげで、目は悪いままだが、緑大好きになったよ。笑
日本で疲れ切っている人を見ると、
たくさん仕事をしていてすごいなと思う一方で、
イタリア おいでよ、私のうちにおいでよ。
って言いたくなる。
不便だよ、うん。
それでも、心は満たされるよ。
人は緑の近くに定期的に行かないといけないと思う。
公園でもいいんだ。緑がいっぱいあるカフェでもいいんだ。
川でもいいんだよ、キャンプでも魚釣りでも。
緑の中で、日が当たる木の近くで、
火を眺めたり、空を見上げたり、
夜には星の名前を探したりね。
魚釣りながら、 ああ、もう生きるのしんどい。
なんて思う???
満点の星空を眺めながら、
ああ、もう仕事嫌だ。
なんて思う??
自然いいな。星綺麗だな。
コンピュータの画面ばかり見ていないで、
フェイスブックでいいねばっかり気にしていないでさ、
車がなくても、電車で行ける近くの公園にでも、
堤防でも、
散歩したり、走ったり、誰かと語り合ったり、
そんな時間を過ごしてみたらどうだろうか。
このMIND YOUR HEAD は読みかけなので、
終わり次第感想を書こうかな。
私、自称アスリートだけどさ、いや、他称でもアスリートかもしんないけど。笑
シーズン中、フェンシングのことばっか考えすぎて、
星が綺麗だったことも、支えてくれるみんなの優しさも、
笑顔を届けたかった誰かのことも、飛行機に乗るとかかる自分へのストレスも。
ぜーんぶ麻痺してたことに気づいたんだ。
世界を駆け巡ることに必死すぎて、
自分を整えてから試合に臨む大切さも。
とにかく試合に出るだけのために、準備もできていない状態で必死で移動してさ。
うまくいくようになったのは、時差調整だけで。
絞ればよかったんだ。
この試合、次はこの試合って。
全部を手に入れようとしたから、全部こけた。
体は一つしかなくて、世界を移動するストレスは思いの外大きいのに。
今自分で確定させているのは、8月と12月の日本の試合。
これは、きちんと準備できるからね。
代わりに経験を得たので、自分の選択が間違っていたとは思わない。
きっと誰かが無茶だと言っても(いやすでに言ってくれてたかも)
私の耳には届かなかった。
人の意見聞かないんだよね、こういうとこ。
そんで、失敗して、気づく。
今、すごくいい状態でフェンシングしている。
今いるクラブ、決してイタリアのように、厳しい!!ガチガチ!!!
ではない。学校附属のクラブだから。
それでも、みんなそれぞれ頑張っているし、
そういうフェンシングとの関わり方でも、フェンシングはフェンシングなのだ。
ハンガリーの血が流れているイギリスは、そのコーチが関西の大学に講習にきてくださったこともあった。
なんだか、こんな練習、大学時代にしたことある、、、。
ふとしたところで、出会った自分の出身大学に流れていたサーブル。
レッスンをしていて思った。
あれ、私昔こんなコース使っていたな。そういえば。
思い出した。
そんな視野も持ちなさいと、神様がここに私を呼んだのかな。
イタリアが絶対!!!ってわけではないけど、私は完全にイタリア化しているので、
(ここ数ヶ月は韓国化していたが。)
たまには他のチームも見てみなさい、ってことかな。
いろんな視点があってこそ、私のフェンシングへの見解は深まっていく。
ああ、だからハンガリーの選手はこのタイミングで出るんだな、
このコースを使うんだな。とかね。
なんか話がメンタルヘルスからフェンシングにそれてる。
ま、もちろん私のコーチはイタリア人の2人なので、
夏にそこに戻れるように必死で勉強しているわけだが。
Truroいいな。すごく思う。
将来、英語フェンシング留学!!とかプラン作って派遣しようかな。笑
旅行管理者の資格取らなきゃ。ははは。
結局のところ、心が自分をコントロールしているからね。
いかにそれと向き合って付き合っていくかなんだよね。
私の場合、ただ一つの目的、一つのやりたい。
やりたい は フェンシング。
目的 は あなたに笑ってほしい。
それだけで生きてるんだよね。きっと。
人を笑わせたいんだよね。
一緒にいる人には笑っていてほしんだ。楽しんでほしい。
それができるプロジェクトを作ります。
この本、日本語訳でないかな。
心の問題は、みんなが持っているものだと思う。
それを問題にするか、個性とするかは自分次第。
苦しい時には、クシプロへ。 みたいな???いいねえ。
みんなで緑に行こうプロジェクトとかね。ああ、楽しい。
イギリスで話しているとさ、自分がイタリア人化していることに驚く。
イタリア人ってイタリア大好きなんだ。
私も気づくとイタリアの話ししてる。
もちろん日本の話もするよ。
そうやって自分の背景が増えて、話ができることが嬉しい。
いずれイギリスもそういった私の故郷の一つになればいいな。
すごくいい街だよ、ここ。
まあその前に話ができる語学力をつけることが第一だけど、
私の場合フェンシングクラブと並行させると一番手っ取り早いことに気づいた。
使う言葉はほとんどフェンシングにおいてだし、
そこで日常会話もするし、
コミュニケーションの取り方も考えるし。
フランス語勉強したいときは、フランスのクラブだな。
韓国語勉強したいときは、韓国のクラブだ。
話がバッラバラだけど、そんなことをたまにはちゃんと
大事な大事な
日本語で
考える、そんな週の始まりの月曜日。
読んでくれる人にちょっとあったかくなるような、
そんな優しい言葉を紡いでいきたいなと思う夜でありました。