朝、母が日本に帰った。
無事つくかな? また会おう母よ!!!
さて、私はそろそろ本腰をいれて次のワールドカップ、
ボルチモアへの準備中。
今回はちょっぴり遠征の負担額が大きめなので、
今度こそ、、、、、予選突破である。
自分の中の壁を破ることが、きっと結果につながっていくのだと思うのだ。
できるのか?ではなく、できるんだ。である。
そして、今自分の中で何が本当に大切なのかを12月に見直すことができたおかげで、
自分にしかできないことを今年はどんどん表現していこうと思う。
このヨーロッパで、私ができることは本当に沢山ある。
どこにでも陸続きでいけるし、様々な言語が飛び交っていて、学ぶのも容易い。
フェンシング一本に絞るのは、本当は楽だと思う。
ずーっとフェンシングをして、ずーっとフェンシングのことを考えている。
それって、世界、狭くないか?と私は考えてしまうのだ。
4ヶ月間正直ずっと明けても暮れてもフェンシングのことばっかり考えていたおかげで、詰まったわけである。
あくまでも軸はフェンシング。
それでいて、その周辺には様々な事にチャレンジしていたい。
イタリア語英語韓国語。今いるのはこの3つかな。
そして、自分を世界基準に持っていくこと。
フェンシングにしてもそう、世界での振る舞いにしてもそう。
日本の中にいるだけでは知らなかった国際的なふるまい。
こっちにきて、本当にたくさん学んだ。礼儀作法から、挨拶の仕方まで。
どうして日本人は笑顔で目を見て、挨拶をしない人が多いんだろう?
こんにちは!!!元気ですか?(^^)
さようなら!!!またね!!!(^o^)
たったこれだけなのに、それすらできない人で溢れていないか?
相手の好き嫌いとか全然関係なく、とにかく知り合いにはこうした挨拶の礼儀が発生する。
人と目が合うと微笑むのも海外特有だろうか。
あ、目があったと思った瞬間、相手は軽く微笑む。
私も軽く返す。これもよくある。
あとは、人に体が当たったりしたら必ず、すみませんと謝る。
ドアは次の人が来るまで開けておいてあげる。これもマナー。
人との関わりにおいて、日本よりヨーロッパのほうが格段に優しいと思う。
イタリア人に囲まれているせいかもしれないが。
山手線が無機質に思えて仕方がない。
人を押しのけ、追い越し。
コンビニの定型文。
いらっしゃいませー。ありがとうございましたー。
私は将来ブックカフェも経営したいのだが、
人との関わりが優しい場所にしたいなあ。
こだわりのカップに机。
コアな本も沢山ある本棚。
ライブの出来るスペース。
そして、四角いものでなく、丸いもので溢れさせたい。
柔らかく、それでいて本質的に良い物を置く。
暖かみの溢れる場所に。
そんな夢もあったりする。もちろん隣にはフェンシング場。笑
ブックカフェを開けるくらいの本が我が家にはあるのだ。笑
あと一年は、貯金が持ちそうである。
4年働いた私の資金は、有効活用されている。
さあ、自分にしかできないことをどんどんやっていこう。
そして、周りの人をどんどん巻き込んでいこう。
日本を悪く言うわけではない。私は日本が大好きだ。ラーメン。
日本とその外側の両方を 知る ということが大切だと思う。
世界の共通言語は英語に加え、フランス語、スペイン語も有用であるということ。
言葉は、自分を救うということ。
私の挑戦は2017年、イタリア語で言うとGrande confusione という、
大きな混乱 によって幕を閉じたわけだ。
そして、12月、色んなきっかけがあって、
2018年、再挑戦することに決めたわけだ。
正直いつまでこの国にいられるのかはわからない。
それでも私は、引退するまで自分の中のフェンシングの部分はイタリア人であり、
イタリア語で物事を考えていたい。
諦めの悪い、日本人である。
自分の軸を奥底にどっしりと据えて、
一日一日を濃く過ごそう。
忘れないでほしい。自分。
この日々は、君が今まで積み重ねてきた結果なのだということ。
4年間働いて、もがいて、道を探して、
たった一人でこの地に来て
たった一人でイタリア人の中に突入した。
その勇気に自信を持ったらいい。
ささいな問題で動じなくなったのも、このイタリア一人暮らしのおかげ。
忘れないで。
そう簡単に諦められるもんじゃない。
誰かの意見にに左右されて決めてきた道じゃない。
全部自分で決めてきたんだよ。
君にしかできないことをやればいい。
君にしかできないサーブルをやればいい。
君にしかできないことがあるということに確信を持てばいい。
「自分の感受性くらい、自分で守れ。」
自分の生き方くらい、自分で守れ。
なあ、自分。君はできるよ。
人間として、人格を磨き続けろ。
今年は大吉の年。私はやるぞ。徹底的に。